新世界ボウリング誕生 凸凹物語
それはいつもと変わらないある平凡な日のこと。
いつものように僕は深夜のボウリングセンターでやらなければならないルーチン作業、
つまりはレーンメンテナンスとボウリングマシンの修理、点検作業を行っていた。
深夜帯にも関わらず時折マイボウラーのお客さんが投げに来られて、
僕の仕事はそのマイボウラー=常連さんのご機嫌取りというのも何故か僕の役割になっていた。
ただ、いつものように。
ただ、何も考えず、それでも愛想よく、そしてそつなく対応していた。
なぜそれほどやる気が無かったのか?
それは只々、毎日が同じで退屈だったから。。
正直、その時の僕はボウリングに数センチ程度の興味しか沸かず、
いちようマイボールを持ち、こねくり回して曲げて投げ、たまたまのハイスコア286に充分な満足感と、遊び紛いなスポーツで簡単なもんだなぁ。という程度の冷めた思い。
そのくらいにしか思っていなかった。
そんな日々を過ごしていると何やらめんどくさそうな知らせが、、
『新潟市のセンターから専門家を引き抜いて新しく主任候補としてウチに来る?』
『しかも、口うるさく、体型も大柄で怖そうな人らしいって?』
『まじかよ!?』、、、
それは僕にとって明らかに面倒くさいであろう事件の始まりだった。
そして一週間後、
その人は僕とは一切会わない時間帯で仕事を始め、
しかもその人はセンターに来るなり、前主任のドリル室を占領し、
何やら大物っぷりな発言を従業員やお客さんに遠慮も無くしているらしい、との情報が。
『何さまのつもり?』『新参モノが来るなり何なの!?』
僕はその当時、センターで働いて3年くらいが経ち、深夜帯の責任者として現場を回していたので、そんな人がうるさく言ってきたとしたら当然、面白くない訳です。
『おれ、絶対その佐藤さんって人と仲良くならねえ!』
『っていうか、基本は無視だわ。』
今考えると、当時はそんな事を思い、実際に職場の仲間にもそう話していました。
ただ、そういう一見すると悪い噂もさることながら、
『とにかくボウリングが上手いらしい。』という事も聞いていたので、
益々ぼくは佐藤さんとの距離を縮めようとはしませんでした。
そんなある日、
僕はふと考えました。
『その佐藤さんとやらはどんだけ上手いの?』
『そんなに上手いなら今度勝負してみようかな!?』
もし、僕が勝てばもうそんな偉そうな態度は出来なくなるだろうし、
むしろそんな態度をさせなくしてやろう。
そう、考えたわけです。
ところが、、
そんな事を考えて、まずは敵上視察だ!とばかりに佐藤さんが急遽出場する事になった
スタッフチャレンジというハウス大会をしばらく観覧する事にしました。
と、
そこでまず目にした事はありないマイクでの自己紹介。。。
『新しくこのセンターで働く事になりました、佐藤です。今日は新潟県でトップレベルに曲がる強いボウリングを見せ付けてさしあげましょう!』
。。。『えっ!?今なんて??』。。!!!
僕を含め、会場のお客さん達は一瞬、『シーーーン。』と静まりかえり、
その後はいちよう社交的な、でもあまり好意的で無い形式的な拍手が所々から鳴りました。
僕は、『この人はまるで空気を読まないのか?』と思い、
さらには、ある意味で
『スタッフチャレンジ=接待ボウリング』なんだから、そんな事は言っちゃヤバイのに。。
と思い『この人は馬鹿なんじゃないか?』とさえ思えてきました。
でも、同時にその時の僕はこうも思いました。
『え、もしかしてこの人いきなり伝説つくるキャラなのかも!?』
とにかくほんと、ビックリ!!(°д°)ッ
でも、その後の大会の内容を観ていて、その当時の僕はまさに【驚愕】の連続でした。。。
【文章】ではなかなか説明しにくいですが、佐藤さんの
その圧倒的な自信に満ちた存在感。
圧倒的な大きな曲がりとインサイドからのライン取り。
ありえない【ピンアクション!!】、【ピン音!!】
そして、ストライクの数数数。。。
アベレージは確か220位だったとは思いますが、とにかく佐藤さんのその圧倒的な強さが深く脳に焼き付いた時間になりました。
【人は圧倒的に自分より大きなモノを目の前にすると言葉を失う。】
僕は初めてそんな体験をしました。
僕はまだ勝負もしていないのに完全に負けた気持ちになり、
悔しくて、悔しくて。。なぜだか自分が情けなく思えて。。
『このまま佐藤さんの言いなりにウチの全従業員はなるのだろうか?』
『イヤッ!待て、それだけは許せん!!』
『ん、まてよ?まだ勝負もして無いし、ましてや負けたワケじゃ無いんだから。』
『そうだよ、これからしっかり練習すれば勝てない相手じゃないかも知れない?』
『むしろ、佐藤さんのあの投げ方をマネして、同じように投げれたら体型的には僕の方が痩せてて器用だし、その分有利になるかも?って事は勝てるかもしれないじゃんか!?』
そういう風にポジティブに気持ちが変わってきました。
さて、それからは僕の独学でのいわゆる【ローダウン投法】の研究と実践の始まりです!
まずはネットで調べ、動画を探し、本やDVDを探し、人に聞き、、
いろんな事を情報源から自分なりの解釈を加えて練習に活かしました。
今考えればその当時は全くと言っていい程、一貫した考え方や見本教材などは見つかりませんでした。
なので、とにかく少しの情報のカケラを集めては試行錯誤の毎日でした。
とにかくこれを繰り返す!
毎回、少しずつでも佐藤さんに近づいている事を信じて。
すこしの成長を見つけては自分を励まして。。
試行錯誤、試行錯誤の練習がつづきました。。。
そう、そんな事をしていたら自分でも気がつかないうちに、
僕にとって、天敵である佐藤さんが、
なぜか僕にとっての目指すべき【憧れ】に変化していったのです!!(笑
ちょうど、そんな事を感じ始めてきた頃に、ふと、
『平野さん、ローダウンがしたいんですか?』と、
なんと【天敵兼憧れの人】佐藤さんが僕に話しかけてきたんです!!
ところが僕はとっさに、
『え、違いますよ。別に人が何の練習をしていようと関係ないじゃないですか!?』
と、意地をはって、突っぱねたんです。
でも、次に佐藤さんは言いました。
『平野さんならちゃんとしたローダウン出来ますよ。』
僕は、『えっ!!』『俺が出来る??』
『マジで!!?』(喜!
『はい。いまの投げ方をもっとこうして、こうして、、
ここを意識して、こう投げてみて下さい。そしたら出来ると思いますよ。』
『えーっ!!マジっすか?? じゃ、やってみますー。』
、、、(言われた通りにイメージして、意識して。)
『シュポ、ドーンッ!シュッーーーー!!、、グンッ、パカーーーンッ!!!』
、、、???
『な、なんじゃこれーーっ!!!』
『これがいま俺が投げた球なの!!!???』
『うそ。マジ!?』『これヤバくねッ!!!?』
『ほら、出来たじゃないですか。ローダウンボウラー誕生ですね、おめでとうございます!』
そうなんです、言われた通りに投げたら、出来てしまったんです。。。
いえ、正確には出来たのではなく、今までよりも圧倒的に回転が増し、
もともとスピードはあったので適度に走り、奥のドライエリアでしっかりと曲がり、たまたまポケットに入りストライクになった。というので正しいのですが。。
でも!!
僕はこの時の【感動】をいまでも忘れていません!!
もちろん、その後は同じようにはなかなか投げれなくなり、今度は佐藤さんに教えてもらいながら練習をしました。(現在のパワーストローク投法の指導原型)
しかし、しかし。
僕はけっこう器用なんです。(苦笑
そう、素直に佐藤さんの教えを守らずに、すぐに自分なりの考えや方法論を語りだし、
要はいう事を聞かないで独自の練習を始めてしまったんです。。。
するとどうでしょう。
たちまち投げ方が分からなくなり、それでも無理やり投げれた時のイメージを再現しようとして
体に負担をかけながら投げ、スライドの左足のつけ根を傷め、膝を傷め、親指を傷め、、、
まさに【どん底】。
しかも、それまでに無理して投げた球筋は全くの【ノーコントロール】、
そしてドライゾーンでは毎回毎回不安定な曲がりの暴れん坊将軍状態。。(笑
正直、全然スコアになりませんでした。(確かアベレージは150くらい。泣
さらには、その痛めた場所が完治する頃にまた自己流で投げて、同じように痛める。
その繰り返しでした。
なので、大会などは自分のカラダを削りながら、傷めながら投げるといった感じで、
大会が終わる頃にはいつも自分でマッサージを施さないと、痛くていられない。
という状態でした。
それでも投げるボールは大いに曲がって、大いに派手なフォームで。。周りより目立つ!
しかも、他のマイボウラーさんからは、ちょっと憧れの眼差しが!!
たまに、『平野くん、おれにも教えてよー』という、嬉しい言葉がけも。
だけども、投げれば投げるほどに体が痛い、、おまけにゲーム数も4ゲーム以上はキツイ。
そうなると、だんだん自己流ローダウンが苦痛以外の何者でも無くなってくるんです。泣
そんな時、また佐藤さんが声をかけてくれました。
『平野さん、もう曲げないで投げた方がいいですよ。』
【ガーンっ!!!】(°д°)。。。
佐藤さん、いきなりそこまで言うかぁぁあ。。。
それじゃぁ、これまでの練習が水の泡じゃないか、、、
でも、確かにこれ以上は投げ続けられないし、、、もう、どうしたらいいんだよ。。
さらに佐藤さんは言いました。
『平野さんはもう曲げる意識をしなくても充分に曲がりますよ。』
『っていうか、僕の投げ方により近づくって事ですよ。』
『だから、むしろイイ事なんですよ。』(ニコッ。
『えっ!?』『何でスト??』
『むしろイイことなんですよ、の意味が分からないんですけど。。』
『だって僕の投げ方ってローダウンっぽく無いでしょ?僕はローダウンじゃないですよ。』
、、、
『はっ??』
、、、
『はあぁっ!??』、ますます意味が分かりませんが。。
『もっと言うと、ボウリングの本場アメリカにはローダウンなんてモノは無いんです。』
【ドーンッ!】 Σ(゚∀゚ノ)ノキャー!!!
もう皆さんお気づきですね?(^-^) そうなんです。
この時初めて【パワーストローク】とか、【アンロードする】というリリースの定義を聞いたんです。
まさに【目からウロコ】。。。
この時ボクは、ボウリングを初めて二度目の衝撃を受けました。(笑
それからは練習と言えば、佐藤さんに無理いってなるべく見てもらい、
アドバイスをもらう度に、いらない動作を削って削って削って、、
さらにはこれまでに染み付いた余計な力技や、
これまでのボウリング理論をパワーストロークに書き換えていく練習になり、
今ではようやく何とか、アベレージ200を越えるまでになりました。(^O^)/
体への負担も少なくなり、何ゲームでも投げれますし、
またパフォーマンス的にも充分で、いわゆる【走ってキレる】球筋になってきました。
なので、今はこれまでにも増してすごく【ボウリングが楽しいです。】
現在のボクの課題は、複数人で投げるレーンでのレーン変化をいち早く読み解きながらリスクの低いコースでスコアメイクして行く事となってきています。
そして、さらに新たな【野望】も芽生えてきました。
そう。。【新世界ボウリング】の誕生です!
僕がこの新世界ボウリングを始めた理由は至ってシンプルなんです。
一つ目は、
僕と同じような境遇にいるボウラーさんに
【佐藤式ローダウンという一つの方法】を教えてあげたい。
二つ目は、
こんなにも【素晴らしい指導者】である佐藤さんに、もっと【自由に活躍出来る環境】を作ってあげたい。
そうすれば、おのずと一つ目の理由も叶えるより最適な方法が見つかるはずだ。
という事なんです。
でも、その為には今の環境から脱却して、
かつ現在の【新世界ボウリング】の活動を事業として運営したいと考えています。
もちろん安易に有料化してしまったら一つ目の【目的】が達成できない訳なので、
真剣にいろいろとビジネスモデルを模索中なんですよ。(^-^)
だから、実は僕の現在の仕事?新世界ボウリングというライフワークは、
新しい新世界ビジネスモデルを構築する事そのものなんです!【ドーンッ!】
という事で、こんな小さな文字の長文をここまで読んでくださった皆さんを心から尊敬します。
どうか、こんな僕の理想が叶うまで、新世界ボウリングの目的が達成されるその日まで、
今と変わらず新世界ボウリングを見守り、応援してはくれませんか?
僕たちはこれまでも、これからも一切の手抜きする事なく、
全力で皆さんの役に立つであろう情報を発信し続けます!!
皆さんと共に【新世界ボウリング】はこれから先も、もっと変化し走り続けて行きます!!
今日は最後までご拝読くださり、心から感謝いたします。
『ありがとうございました。』
PS:
今回のサイト作成にあたり多少、誤字脱字、表現など修正いたしました。
また、2013年7月4日、アメリカ独立記念日。
俗に云われる【革命記念日】に僕たちは会社を立ち上げ、起業しました。
現在は【新世界ボウリング.com 】を運営しつつ、
【新たなボウリング事業カテゴリーの創造】という事を考えて活動しています。
※ 活動概要に関しましては上部の【会社概要】をご覧ください。
ぜひ今後の新世界ボウリング.com 及び、僕たちの活動にご注目下さい!
よく近江商人の言葉で三方善とありますが、まさにその体現を目指し、
お客様(ボウラー)、センター、新世界ボウリング.com 、そして更には日本のボウリング業界を
来る新時代において、ふさわしい価値あるモノとして【活性化・発展】を促す活動にして行きます!!
どうぞ楽しみに今後とも、新世界ボウリング.com を応援してください♫
よろしくお願い致します。
2013.9.18 新世界ボウリング 平野久信
【新世界ボウリング誕生からその先の凸凹物語】
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